nekop's blog

OpenShift / JBoss / WildFly / Infinispanの中の人 http://twitter.com/nekop

JBossと僕

JBoss Advent Calendar 2012の14日目のエントリ。昔話をしようかな。

初めてJBossを使ったのは2003年だと思う。JBoss ASの3.2系を使って社内のちっちゃいシステムを同期と一緒に作った。もう記憶がおぼろげだけれども、お客様から受けた仕事では主にStrutsを使っていた一方、このシステムではその頃の流行りでもあった、ブループリントだとかデザインパターンをいくつか採用した、ちょっと過度なJ2EEのデザインを採用した気がする。

その頃の僕と言えば、同僚から誘われて始めたJa-JakartaプロジェクトApache系のJavaソフトウェアの国際化対応とか翻訳とか日本語でのコミュニティサポートとかをしていた。懐かしいね、TomcatとかStrutsとかAntとかMavenとかVelocityとかTorqueとか。昔は結構日本語がまともに通らなかった。Ja-JakartaプロジェクトをベースにJavaオープンソース関連の活動をしていたら、雑誌の執筆依頼であるとか、講演依頼であるとか、お仕事頼みたいだとか、そういったお誘いを受けるようになった。JavaHouse Brewersなんかにも投稿してた。

最初の会社では製造業のシステムのクライアントをSwingで書いたり、auの携帯オフィシャルサイトやJ-PhoneのバックエンドWebシステムを作ったり、クレジットカード会社のWebシステムを作ったり、XML Webサービスを利用した課金プラットフォームシステムを作ったりしてた。

2005年の2月末に最初に入った会社を辞めて、3月1日からなにげなくSan Franciscoに行って友人の家に一ヶ月居候した。初めての海外旅行だった。楽しかったし、視野を広げるいい経験になった。英語の勉強も兼ねてたんだけど、居候先の家では主に関西弁が飛び交っていたので英語はそれほど上達はしなかった。シリコンバレーのほうにドライブツアーに行ったりもした。帰国して4月は充電期間と称してダラダラ過ごし、5月から転職活動を開始したけど、ゴールデンウィークで会社のほうがお休みだった。5月半ば、オープンソース活動つながりの知人を頼って会社を3社急いで回り、2週間後の6月からNTTデータ先端技術で働くことになった。

NTTデータ先端技術ではJavaオープンソースミドルウェアの専門ということで、TomcatJBossの検証とかプロジェクト支援とかを行った。JBossの機能評価やパフォーマンス評価をしていてJBossのコミュニティサイトにJBossクラスタリング遅いんだけど、とかいろいろつたない英語で書き込んでいたら、JBoss Inc.から技術者が一人やってきて、2週間ほど一緒に作業したりトレーニングをしてくれたりすることになった。商用版のJBossのバイナリとかを試させてくれて、パフォーマンスはだいぶあがった。少し後にJBossからこの作業の成果をJavaOneに共同応募しよう、という提案があり、2006年のJavaOneBOF枠で当選してSan Franciscoに再訪することになる。JBossNTTデータ先端技術からそれぞれ2人スピーカーを登録するという話だったのだけど、スピーカーは3人まで、という制限があり、同僚とじゃんけんかなにかでスピーカーを決めた。結果、僕はスピーカーとして登録されなかったのだけど、結局当日はJBossの人が一人来れなかったというオチがある。

そんなJavaOne 2006の前の月、Red HatJBoss Inc.を買収した。既に世界展開しているRed Hatの基盤を利用して、JBoss製品も世界展開する。日本のRed HatでもJBossのエンジニアが必要だ、誰が居る?ということで僕に白羽の矢が立った。2007年の3月にRed Hatに入社した。英語できないのに。

つづくかもしれない。